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結果・効率を重視する社会が生み出したもの

店に被害を与えたツイッター投稿等の行為に対して、退学、賠償、書類送検等の厳しい処分が続いている。

現在の社会状況から判断する限り、このような処分が避けられないのは確かだろう。限定的とは言え、一定の効果が見込める上、何よりも社会全体がこのような行為に対して厳罰を求めているからだ。

しかし、暴力を振るったわけではない高校生すら、書類送検しなければ問題を解決へと導けない社会にいつからなってしまったのだろう。家庭が子供を躾けることできず、学校が学生を教育できず、職場も若者を指導できない。これは、罪を犯す、子供、学生、若者だけの責任ではなく、家庭、学校、職場だけの問題でもない。社会全体がこれまで歩んできた道筋の結果を表しているのだと思う。

しでかしたことの結果の重さを知らしめるために処罰する。

彼らが知らなくて問題なのは、結果だけだろうか。結果を知らなかったから、彼らはそれをやるに至ったのだろうか。では、結果が処罰に至らないものだったらどうなるのだろう。本人とは判別されないようにやれるものだったらどうなるのだろう。そうではない。結果がどうであれ、やっていけないことはやってはいけない。結果がどうであれ、やるべきことはやるべきだ。これが、彼らが学ぶべきことなのだ。

そして、私たちの社会が近年の社会で若者に教えてきたことは何か。自分たちがやってきたことは何かというと、結果重視、効率重視のやり方、生き方である。結果が最重要視され、結果に最短距離で至る効率の良いプロセス(過程)こそが重視されてきた。極端なことを言えば、プロセスなしで、結果さえ出ればよかった。結果のないプロセスは、どれほど素晴らしいものでも否定された。

結果重視の社会となる前は、労働は尊いこととされていた。汗して実直に働くことに意味があるとされていた。もちろん、結果重視の人がいなかったわけではないが、今よりもずっと少なかったと言える。それが、ある時から、結果に結びつかない労働は意味がないとされるようになった。より効率的に、素早く結果を生み出すものこそが最善とされるようになった。結果に至る道筋が実直であることや、誠実であることや一生懸命であることは全く無視されるようになった。

結果を効率的に最短で生み出す組織・社会は、そうでない組織・社会を駆逐した。そして、結果につながらないプロセスが軽んじられる社会となった。

実はその、失われた、結果につながらないプロセスの中にこそ、人間社会が必要とする、モラル、躾け、教育、指導があったのではないか。

若者は、結果を知らないから罪を犯すでのはない。結果に勝る生き方・プロセスの大切さを知らないから、私たちが教えてこなかったから、罪を犯すのではないか。

次々と起こるツイッター投稿事件は、私たちが作ってきた社会を映し出す鏡なのだ。

参考リンク
アイスの冷凍庫入り写真=高校生3人書類送検―京都府警

非常識写真 結果の重さ教えるべきだ

ニュース 格差社会

格差社会が生み出すもの - 貧困と性風俗 –

脱法ハウスは格差社会が生み出した代表的な現象であるが、ここにもう一つ格差社会の象徴となる現象がある。それは人身取引である。日本のニュースでは、外国の人身取引を遠い国の出来事として取り扱うことが多いが、日本でも人身取引が当たり前のようになりつつある。

それは、貧困が原因で性風俗産業へ追いやられる女性たちのことである。

援助交際などで、小遣い稼ぎのために自ら体を売る少女たちなどの現象に紛れて、貧困によって性風俗へと追いやられる女性たちのことがあまり取り上げられることがないが、こうした女性の数は確実に増えていると思われる。

先日、ガールズバー店長が客を殴り殺した事件がニュースになったが、このニュースの中では、客を殴り殺した店長の悪が掻き立てられるばかりで、ガールズバーというものそのものに存在するはずの悪については全く語られていなかった。記事の中では店長の普段の様子として、「従業員らに対して厳しく当たることも多く、女性にも「もっと客取ってこい!」と怒鳴ることもたびたび。別の店で客引きをしていた男性(35)が『まるで家畜に対するように高圧的に振る舞っていた』と表現するほどだった」と書いていたことから、ここで働いていた多くの女性が、店から離れたくても離れられない状態であったことは容易に想像がつく。

そういったところへ遊びにいくとすれば、危険な事件に巻き込まれる率は高くなるのは間違いない。自ら望んで働いているスタッフたちが大半を占める風俗のお店と追い詰められた状態で働いているスタッフが大半を占めるお店とどちらが安全かはいうまでもないだろう。

この貧困で広がる人身取引には、脱法ハウスとはまた違った不幸がある。格差によって生じた貧困が女性たちを性風俗に追いやる一方で、格差によって生じた貧困が原因で結婚・恋愛できない男性がこの性風俗の女性を必要とするということである。不幸の連鎖、不幸の循環とも言える。

格差社会が、社会の質にもたらす影響は我々が想像するよりもはるかに大きい。ある日、気づくと、日本はすでに日本でなくなっているのかもしれない。

参考リンク
「金や金!」ガールズバー店長が客を殴り殺した料金トラブルの“金額”

横行する人身取引「日本は人身取引大国」、組織的手口で少女売買/神奈川

ニュース 未分類 格差社会 生活 脱法ハウス

格差社会 - 終わりの始まり -

8月2日、また新たな脱法ハウスが記事になった。大阪でのことだ。

<参考リンク>
<脱法ハウス>大阪にもあった 市が立ち入り調査

脱法ハウスがニュースになるとき、必ず問題とされるのが、その居室としての異常性である。

・窓がない。
・立ち上がる余地がない。
・狭い。

しかし、カプセルホテルと比べてみれば、特に異常とはいえない。長期でカプセルホテルを利用する人からすれば、「何が問題なんだ?」というぐらいのものだろう。カプセルホテルであれば、安くても1日3,000円、一ケ月利用すれば、10万円前後となる。(ほとんどのカプセルホテルは、これより高い価格だ)。脱法ハウスは、一ケ月で、35,000~60,000円程度だから、コストパフォーマンスの差は一目瞭然だ。お財布に非常に優しい宿泊施設だといえる。

脱法ハウスに関して批判的なのは、格差の貧困側にいる人々ではない。マンションの地価が下がるのを恐れたり、これまでの生活が変わるのを恐れている、比較的生活の保証がある側の人々だ。ニュースなどで、度々、「格差社会」の到来を耳にしながら、自分たちとは関係のないものと思っていた階層の人々が、突然目の前に現れた格差社会の現実に怯え、戸惑い、拒否反応を示して騒ぎ立てている。

格差社会はすでに非常に幅広い範囲で進行していて、もはや住民が騒ぎ立てたぐらいで流れを変えることはできないところまで来ているといえるだろう。

今さら、行政が、脱法ハウスについて何かできるだろうか。恐らく、何もできはしない。

むしろ、業者側の変化のほうが速いだろう。より快適で、リーズナブルな価格の巨大な脱法ハウス(シェアハウス?)が建築される日も近いのではないかと思う。

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原発賛成、反対?

参院選において、自民党が圧勝したことにより、原発利用開始への路線復帰はほぼ明らかになった。しかし、一方で、反対派の根強い活動も続いており、火種が絶えないようだ。

参考リンク
「子供の命をどう思っとる!」家に押しかけ恫喝する茶髪の反原発派集団、自民圧勝でも〝不穏な空気〟充満

下記に原発のメリットとデメリットをまとめてみる。

メリット

・二酸化炭素(CO2)を排出せず、地球温暖化の防止に役立つ。
・発電コストが安い。
・原料の供給元が安定している。
・地元への経済効果が見込める。
・技術力への証明となり、原子力発電設備その他の輸出が可能になる。

デメリット
・放射性廃棄物を出す。
・事故(自然災害・テロ)が起きた場合の被害が甚大
・処理費用を含めたトータルコストは実は一番高い。

上記に原発のメリットとデメリットの代表的なものを書いた。ネットを検索すると、まだまだたくさんのメリットとデメリットがある。

私なりに考えてみた原発のメリット・デメリットのキーポイントは、現状を是とするか、否とするかである。その現状は、単なる生活水準だけでなく、恐らく世界の中での日本の位置づけにも影響を与える。

良くも悪くも、現在の日本の発展は、原子力発電所に支えられてきている。これを失ったとき、他の発電方式では、資源供給の不安定さ、発電効率の低さから、日本の経済発展は大いに抑制されるだろう。近隣の、特に現在、経済発展の著しい中国に対して、これ以上の経済的な遅れをとれば、国際関係においても致命傷を被る可能性もあると思う。それは軍事力においてもいえることだろう。

つまり、原発を失うということは、多かれ少なかれ(恐らく多くの)、経済的、政治的な利点を失うことになる。当然、生活水準も今のままではいられない。

一方で、原発稼働を続けるということは、未来への負の遺産を増加し続けることである。処理しきれない危険な廃棄物質が際限なく積みあがっていく。安全面の管理も決して万全ではありえない。それらが致命的なものになる可能性は常に存在する。言ってみれば、毎日バクチを打ちながら、砂上の楼閣を積み上げていく行為に等しい。これは原発を利用している全ての国においてそうであるが、限りある面積しかもたない日本にとっては、この楼閣の崩落は一層絶望的なものとなるだろう。

正直、現時点では、私には、原発に反対すべきなのか、賛成すべきなのか、判断がつかない。ただ、できうることならば、電気をもっと少なく使うような生活、経済の仕組みを構築して、原発がない方向へと移行していくことを望みたい。日本の未来の子供たちがこの件に票を投じることができないことを考えればなおさらである。

参考リンク
原発のメリット・利点

原発のデメリット・問題点

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知的財産権の光と闇

昨日、下記のサイトで、中国の各所にパクリ街が出現しているというニュースを読んだ。

参考リンク
ミニ・エッフェル塔まで…中国に“パクリ街”が登場する真の理由

この記事の中に、「中国文化の中ではコピーするということは、相手への敬意を意味する」といった分析があった。なるほどそういう理解の仕方もできる。

それにしても、つい先月も、あひる盗作のニュースが出たばかり。今や中国とコピーは切っても切れない関係にあると言えそうだ。

参考リンク
「アヒル盗作やめよ!」 中国各地で“ニセ”増殖、共産党が社説で激怒

そもそも、違法ではないものとして、中国の深センに、世界の都市の主要な建物をコピーした「世界の窓」というテーマパークがある。コピーの対象は、海外に対してだけではない。「民族村」という中国国内の各地をコピーしたテーマパークもある。もともと、コピーは、お粗末なもの、悪いものといった認識はなかったのだろうと考えられる。

コンピュータのソフトについては、中国には、今でもコピー品がたくさん出回っている。ネットで堂々と販売されているぐらいだ。もっとも、これは日本も同様の時代があり、2,30年ぐらい前までは、多くの人がコピーソフトを利用していた。それが、今ではコピーが違法であるという考え方がだいぶ浸透してきている。現実には、コピーゲームを動かすアダプターなどの利用者が相当数いるし、子供に買い与えている親もいる。しかし、表立ってはコピーは罪であると認識されているといえるだろう。

ここでなぜコピーが罪なのかということについて考えてみたい。

コピーが犯罪になるのは、知的財産権を保護する法律が存在するからだ。この知的財産権の始まりは、ガリレオ(1564~1642)の願いによって、ヴェネツィア共和国公布された特許制度にあるという。また、知的財産が大きな力をもつという考え自体は、ヒッタイトの鉄の生産、中国の磁器、絹の生産の頃からあり、各国の極秘事項となっていたようだが、この頃はコピーの善悪というより、戦略的に重要な財産としての保護対象であったということだと思う。(ただし、著作の盗作については、かなり昔から非難されるべきものだと受け止められていた)。

この知的財産権は人間社会に対してどのような意義を持っているのだろうか。

まず第一に考えられるのは、知的財産権が守られないとと創作物や発明品や新しい技術が力ずくで奪われることが多発するだろうということである。実際、過去にはこういったことがしばしば発生してことだろう。このようなことがあれば、発明家や作家の創作・発明意欲を著しく減退させることになるのは明らかだ。

第二に、法律で守られないとなれば、各々の発明物が、極秘事項として守られることになり、対価がつけられない品物になってしまうだろう。そうであれば、せっかくの発明が十分に生かされない。現代では技術は複合的に発展しているから、個別の発明がブラックボックス化してしまうと、発展の余地を狭めることになる。これは社会全体にとって大きな損失だ。

それでは、知的財産権のマイナス面には何があるか。

それは、発明したもの勝ち、もしくは登録したもの勝ちという先行優位性から生まれる。

一般に同時期に新しい創意工夫というのは、同時期に生まれやすい。盗作でなくとも、同じ新たな技術や考えが世にいくつも出るということはよくある。なぜなら、その時代の人々はほぼ同じ知識や思想、技術の基礎を保有しているからだ。

しかし、同じものを独自に生み出しても、わずかに先に世に出したり、登録したものが全ての権利を独占してしまうのが、知的財産権である。盗作ではなく、全くの独自に開発、創作したとしても、後発であるという理由でその利用が許されない。これを横暴と考える人もいるだろう。しかし、盗作か独自かの判断の証明は難しく、先に出たものに全ての権利を与えるのが妥当だ、それに先行者の利益が大きいとなれば、競争原理が働くから社会にとって有益だともいえる。

ところが、ここに大きな問題がある。たとえば、著作や音楽などの創作物であれば、必要なのは紙一つ、楽器一つのことだから、世界の人々にほぼ同様にチャンスがあるといってもいい(実際にはそう単純ではない)。これが、証明するのに効果な実験器具や生産設備を必要とするものとなると、資金のない貧しい者や貧しい国は、圧倒的に不利な立場に立たされる。新しい発明や創作を先に生み出しても、器具や設備がないために、後からそれを考えた資金のある者や国に占有されてしまうのだ。こうなると、知的財産権は非常に不公平な制度ということになる。

また、市場の開発ということに関しても、知的財産権の存在は邪魔になる場合がある。例えば、中国で厳密にソフトのコピーを禁止したとして、パソコンは現在のように普及しただろうか。それは中国そのものの発展を阻害し、消費者としての市場の拡大を妨げたはずだ。逆にいうと、多くの先進国は、中国をコピー国家として非難している一方で、コピーのおかげで拡大した消費市場の恩恵を受けているということになる。また、生産技術にしろ、設備にしろ、コピー品を用いて実現した廉価な製品を購入して、それなしには得られない豊かな生活を送っているという事実もある。

以上、知的財産権のプラスとマイナスの側面について述べてきた。知的財産権は、現在、社会発展のために重要な役割を果たしているのは間違いない。しかし、私たちはそれを絶対善と考えるべきではなく、知的財産権の不公平性やそれが生み出している矛盾のことを忘れてはならないだろう。

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