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知的財産権の光と闇

昨日、下記のサイトで、中国の各所にパクリ街が出現しているというニュースを読んだ。

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ミニ・エッフェル塔まで…中国に“パクリ街”が登場する真の理由

この記事の中に、「中国文化の中ではコピーするということは、相手への敬意を意味する」といった分析があった。なるほどそういう理解の仕方もできる。

それにしても、つい先月も、あひる盗作のニュースが出たばかり。今や中国とコピーは切っても切れない関係にあると言えそうだ。

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「アヒル盗作やめよ!」 中国各地で“ニセ”増殖、共産党が社説で激怒

そもそも、違法ではないものとして、中国の深センに、世界の都市の主要な建物をコピーした「世界の窓」というテーマパークがある。コピーの対象は、海外に対してだけではない。「民族村」という中国国内の各地をコピーしたテーマパークもある。もともと、コピーは、お粗末なもの、悪いものといった認識はなかったのだろうと考えられる。

コンピュータのソフトについては、中国には、今でもコピー品がたくさん出回っている。ネットで堂々と販売されているぐらいだ。もっとも、これは日本も同様の時代があり、2,30年ぐらい前までは、多くの人がコピーソフトを利用していた。それが、今ではコピーが違法であるという考え方がだいぶ浸透してきている。現実には、コピーゲームを動かすアダプターなどの利用者が相当数いるし、子供に買い与えている親もいる。しかし、表立ってはコピーは罪であると認識されているといえるだろう。

ここでなぜコピーが罪なのかということについて考えてみたい。

コピーが犯罪になるのは、知的財産権を保護する法律が存在するからだ。この知的財産権の始まりは、ガリレオ(1564~1642)の願いによって、ヴェネツィア共和国公布された特許制度にあるという。また、知的財産が大きな力をもつという考え自体は、ヒッタイトの鉄の生産、中国の磁器、絹の生産の頃からあり、各国の極秘事項となっていたようだが、この頃はコピーの善悪というより、戦略的に重要な財産としての保護対象であったということだと思う。(ただし、著作の盗作については、かなり昔から非難されるべきものだと受け止められていた)。

この知的財産権は人間社会に対してどのような意義を持っているのだろうか。

まず第一に考えられるのは、知的財産権が守られないとと創作物や発明品や新しい技術が力ずくで奪われることが多発するだろうということである。実際、過去にはこういったことがしばしば発生してことだろう。このようなことがあれば、発明家や作家の創作・発明意欲を著しく減退させることになるのは明らかだ。

第二に、法律で守られないとなれば、各々の発明物が、極秘事項として守られることになり、対価がつけられない品物になってしまうだろう。そうであれば、せっかくの発明が十分に生かされない。現代では技術は複合的に発展しているから、個別の発明がブラックボックス化してしまうと、発展の余地を狭めることになる。これは社会全体にとって大きな損失だ。

それでは、知的財産権のマイナス面には何があるか。

それは、発明したもの勝ち、もしくは登録したもの勝ちという先行優位性から生まれる。

一般に同時期に新しい創意工夫というのは、同時期に生まれやすい。盗作でなくとも、同じ新たな技術や考えが世にいくつも出るということはよくある。なぜなら、その時代の人々はほぼ同じ知識や思想、技術の基礎を保有しているからだ。

しかし、同じものを独自に生み出しても、わずかに先に世に出したり、登録したものが全ての権利を独占してしまうのが、知的財産権である。盗作ではなく、全くの独自に開発、創作したとしても、後発であるという理由でその利用が許されない。これを横暴と考える人もいるだろう。しかし、盗作か独自かの判断の証明は難しく、先に出たものに全ての権利を与えるのが妥当だ、それに先行者の利益が大きいとなれば、競争原理が働くから社会にとって有益だともいえる。

ところが、ここに大きな問題がある。たとえば、著作や音楽などの創作物であれば、必要なのは紙一つ、楽器一つのことだから、世界の人々にほぼ同様にチャンスがあるといってもいい(実際にはそう単純ではない)。これが、証明するのに効果な実験器具や生産設備を必要とするものとなると、資金のない貧しい者や貧しい国は、圧倒的に不利な立場に立たされる。新しい発明や創作を先に生み出しても、器具や設備がないために、後からそれを考えた資金のある者や国に占有されてしまうのだ。こうなると、知的財産権は非常に不公平な制度ということになる。

また、市場の開発ということに関しても、知的財産権の存在は邪魔になる場合がある。例えば、中国で厳密にソフトのコピーを禁止したとして、パソコンは現在のように普及しただろうか。それは中国そのものの発展を阻害し、消費者としての市場の拡大を妨げたはずだ。逆にいうと、多くの先進国は、中国をコピー国家として非難している一方で、コピーのおかげで拡大した消費市場の恩恵を受けているということになる。また、生産技術にしろ、設備にしろ、コピー品を用いて実現した廉価な製品を購入して、それなしには得られない豊かな生活を送っているという事実もある。

以上、知的財産権のプラスとマイナスの側面について述べてきた。知的財産権は、現在、社会発展のために重要な役割を果たしているのは間違いない。しかし、私たちはそれを絶対善と考えるべきではなく、知的財産権の不公平性やそれが生み出している矛盾のことを忘れてはならないだろう。

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